
令和7年2月に岡山芸術創造劇場ハレノワにて大好評超満員で上演された「ラストサムライ 瀧善三郎のBUSHIDO」。
熱い声にお応えして再演が決定いたしました!
前回岡山芸術創造劇場ハレノワで上演した「ラストサムライ 瀧善三郎のBUSHIDO」の模様はこちら
【日時】令和8年7月19日(日)〜20日(月祝)
【場所】倉敷市芸文館 ホール
【チケット】詳細が決まり次第公開いたします。
お申し込みは下記のボタンからフォームにご入力ください。
岡山が世界に誇る歴史を、共に広めましょう!
明治元年1868年2月4日(慶応4年1月11日)。
明治新政府の命をうけ、備前岡山藩家老、日置帯刀(ひき たてわき)軍の第三砲隊隊長として軍を指揮し、岡山から西宮(兵庫県西宮市)へ向かっていた瀧善三郎。
その善三郎が指揮する隊列が、神戸村の三宮神社(神戸市中央区三宮町)にさしかかった時、フランス人水兵2名がこの行列を横切ろうとし、これを見た善三郎は身振り手振りを交えてこれを制止しようとした。
しかし、フランス人水兵が拳銃を持ち出したことがきっかけとなり、大規模な銃撃戦に発展。その後、フランス以外の他の欧米列強もこの争いに次々に軍を率いて加わり、神戸村は一時欧米列強によって不法に占拠されてしまった。
この事件により死者は出なかったものの、欧米列強側は瀧善三郎の処刑を新政府に要求。この理不尽な要求に対し、善三郎は外国人たちの眼前で古式の作法に則り割腹。その光景に外国人たちは畏敬の念を抱き、事件は解決した。
この時の様子は、1899年、新渡戸稲造博士がアメリカで刊行した「BUSHIDO -The Soul of Japan-」に描かれ、世界中でベストセラーとなり、瀧善三郎の名と共に、彼が魅せた“武士道”が世界中に知れ渡ることになった。
しかし明治新政府は備前岡山藩に対し箝口令(かんこうれい)を敷き、日本を救った瀧善三郎について知る人は、地元岡山でも殆どいなくなってしまった・・・
代表は、俳優・演出家・歴史研究家の後藤勝徳(ごとう かつのり)。倉敷市出身。大阪外国語大学卒業。
平成20年、東京にて「劇団歴史新大陸」を旗揚げ。令和2年、劇団を法人化。
令和3年、活動拠点を生まれ故郷の岡山に移す。以降、舞台公演、伝統芸能体験会、剣舞・抜刀術奉納、歴史を活用した町おこし、歴史ツアー、シアターフィットネス、メディア出演、講演会など、日本や郷土の歴史・伝統文化をエンタメ発信することで、歴史顕彰を通じた地域創生・青少年育成に貢献する様々な活動を手掛けている。
令和4年2月、「瀧正敏氏(瀧善三郎正信を偲ぶ会)」と「七曲神社(瀧善三郎公の故郷、岡山市北区御津金川に鎮座する神社)」と「一社)歴史新大陸」の三者で「瀧善三郎顕彰プロジェクト」を発足。
地元の有志や学生たちとも協力し、七曲神社にある瀧善三郎公の説明看板を新設。
また「七曲七夕みたま祭り」を企画・開催。令和7年で3年目となり、延べ1万人弱を動員。多くのお子様や来場者の方々に瀧善三郎公のことをPRできた。
舞台化については、瀧善三郎顕彰プロジェクトを通じ様々なプロモーション活動を行い、令和7年2月、岡山芸術創造劇場ハレノワにて「ラストサムライ 瀧善三郎のBUSHIDO」を公演。チケットは完売。
公演後、多くの再演希望の声をいただき、このたび倉敷市芸文館で再演の運びとなった。